知って得する!遊郭ガイド
遊郭の史跡ガイドでは、各県に存在する遊郭についてわかりやすく解説しています。ソープランドの起源である遊郭、ソープランドで遊ぶなら知っておいて損はないでしょう。
1分で吉原遊郭!
日本最大規模。
吉原遊廓は江戸幕府公認の遊女屋として設立され、日本橋芳町にあった。元和新吉原京3年に新吉原京町に移転された。前者を元吉和原、 後者を新吉原と呼ぶ。明治以降は規模が縮小していったが、元吉原設立から売春防止法施行まで340年間続いた。 規模としては、340件の遊郭があり、3560人の遊女が在籍していた。これは、当時の日本最大規模だった。
A. 吉原大門
吉原のシンボル、吉原大門
吉原遊廓への唯一の入口であったのが吉原大門。江戸時代には 黒塗り木造の楼門が建設され、明治期には鉄門が築かれたが、 明治44年の大火で焼失。関東大震災を機会に撤去された。 現在は、「吉原大門」という名で交差点名やバス停名として残っている。
この周辺には、「吉原大門」と名付けられたものがたくさんあるので、それらを探してみても面白い。
1:明治期
2:現在
3:明治期
4:震災後
B. 仲ノ町通り
吉原のシンボル、吉原大門
仲ノ町通り(吉原大門~吉原神社前)は、吉原遊廓の メインストリートでした。 この通りにある交番は、 当時遊女の逃亡を監視するための「四郎兵衛番所」 だったそう。
この周辺には、「吉原大門」と名付けられたものがたくさんあるので、それらを探してみても面白い。
1:江戸期
2:明治期
3:現在
C. 見返り柳
遊郭帰りにここで振り返った
見返り柳は、土手通り吉原大門交差点にある柳の木のこと。 吉原遊郭で遊んだ客が吉原大門を出て、後ろ髪を引かれる思いを 抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから 「見返り柳」と呼ばれている。かつては山谷掘脇の土手に あったものの、道路や区画の整理により当地に移され、 また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり 植え替えられている。
吉原を訪れたついでにお参りしてみるのもよい。 このエリアの歴史にさらに詳しくなれるだろう。
1:江戸期
2:現在
3:見返り柳の石碑
D. 吉原神社と吉原弁天池跡
遊郭帰りにここで振り返った
吉原神社には、吉原遊郭の歴史が綴られている石碑が数多くある。 当時、吉原遊廓周辺には弁天池というかなり大きな池があった。 吉原遊廓にいた遊女たちは、関東大震災にの際に発生した 大火災から逃れようとして、この弁天池に飛び込み溺死した
吉原を訪れたついでにお参りしてみるのもよい。 このエリアの歴史にさらに詳しくなれるだろう。
1:明治期
2:現在
3:吉原神社